不器用なりの生き方

1児の母 日常を綴ります。

1年前の出産を振り返る

 

娘が生まれもうすぐ1年。

1年経ったにもかかわらず、産んだ日のことは昨日のことのように鮮明に思い出せます。

妊娠中出産レポを読み漁っていたので、誰かの参考になれば、、↓↓


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夜いつも通り眠りについて、夢の中でキレイなおねえさんに「そろそろいくわよ?」と言われ、それを合図にお腹が痛くなってきた(今思うとあれは娘だったのかも!)かなり重めの生理痛で眠るどころではなかった。

 

朝9時になり、痛みが10分間隔になってきたので病院に電話。病院に行って内診してもらったが、子宮口は1cmしか開いておらず帰される。陣痛はこんなもんじゃないよ!と脅され恐怖に怯える。

 

10−17時 箱根駅伝の母校を応援したり、湯船に浸かったりして気を紛らわせ痛みに耐える。

 

18時頃におしるしが出て、痛みも5分間隔になったため病院へ。まだ生まれないと言われたけど入院することになった。

 

22時に子宮口が6cmになり、夫の立会許可が下りる。テニスボーラーの登場に歓喜助産師さんは全く腰をさすってくれず、「コロナだからごめんね。ご主人にさすってもらって」というスタンスだった😭

 

1〜3時かつてない痛みに襲われる。「お坊さんが波に乗って私の腰にある鐘をつきにくる」という謎の映像が頭を支配する(笑)テニスボーラーの夫も汗だくのヘトヘト。私の飲み物をかなり飲まれてしまい困った💦いきみ逃しが難しく、いきんでヨシと言われてからは痛みが半減したように思えた。

 

4時頃、子宮口MAXになり先生&助産師ーズが現れる。まるで後光がさしているかのように見えた✨「もうすぐ生まれるね✨ありがとう💓」なんて夫と手を取りフィナーレを迎えていたが、先生の「こりゃまだ生まれないね」の一言で陣痛促進剤を入れられ全員撤退。ここからが本当の地獄だった。

 

呼吸法も忘れるし、マスクが口の中に入ってくるし、限界と思っていた痛みがさらに倍増した。先程勝手にフィナーレを迎えてしまったせいで気が抜けてしまい、テニスボーラーの夫の力も弱くなってしまった😭

「もう無理です。お尻が割れます。生むの明日に仕切り直しましょう。」と弱音ばかりになりしんどい時間が2時間ほど流れる。(お尻はすでに割れてるよと助産師さんにツッコまれ、のちに笑い話となる)

 

朝7時、先生&助産師ーズが再び現れる。「今度は赤ちゃん出すよ!」と言われ力が湧いてくる💪赤ちゃんの頭が骨に当たる時の痛みは凄かったが、早く会いたいの一心で踏ん張り続けた。陣痛に合わせ会陰切開したが痛みはなし。

 

ついに!

鉗子&吸引でなんとか娘が誕生した🍀

3500gの娘。小柄な私にしてはとても頑張りましたと助産師ーズに褒められ、調子に乗っている間に会陰の縫合がなされ痛みは感じなかった。

 

 

 

出産から1年経った今、あの時感じた痛みを具体的には思い出せません😭一生忘れないって思っていたのに、痛みを忘れる機能が人間に備わっているのかも。だから二人目とか考えられるんだろうな〜

 

今回の出産で反省することがたくさんあったから、次回記事にしようと思います。