不器用なりの生き方

1児の母 日常を綴ります。

娘の転院

 

無事に生まれた娘でしたが、羊水をたくさん飲んだせいで、ミルクが飲めず吐いてばかり😥生後2日で小児科のある病院へ転院となりました。私は転院できず、生後まもなく離れ離れになってしまいました。

 

転院先の病院で先生の説明を聞いてから、慌ただしい1日を過ごしました。入院手続き、書類の提出、ソーシャルワーカーとの面談。会陰切開の傷が痛む中、食事も摂らずペンギン歩きで病院内を行ったり来たりして、もうヘトヘトでした。コロナの影響で娘との面会はは1日10分のみと言われショックを隠しきれませんでした。

産院に帰ってきたら部屋には私一人。隣の部屋の赤ちゃんが泣くたびに虚しさを感じ、涙が止まりませんでした。もっと上手く産んであげられたら、離れ離れになることはなかったのに。後悔しても仕方ないですが、産後のメンタルにかなりこたえました。赤ちゃんがいないからという理由で、母乳指導も沐浴指導も無しになり、他のお母さんに遅れを取ってしまったのも悲しかったです。YouTubeを見てイメージ作りに努めることしかできませんでした。

 

娘の転院は悲しいことばかりでしたが、良かったこともありました。

転院先で娘の検査をしっかりとしてもらえたことです。血液検査などをし、病気の可能性を消せたことが安心に繋がりました。

娘が入院している間に、自分の体力を完全に回復できたことも良かったと思っています。娘が退院してから寝不足の日々が始まりましたが、お世話を楽しむ余裕がありました。

 


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今回の転院手続きににあたり、わからないことが山積みでした。生まれたばかりで健康保険証を持っていないがどうすればいいか?実費で払うとなると入院費がかなりかかるのではないか?こういった悩みをソーシャルワーカーさんに相談でき、都道府県の医療制度を使えることを知れました。おかげで手続きをスムーズに進めることができました。

 

1歳になった娘は風邪もひかず、元気に過ごしてくれています。健康に越したことはないですが、今回は貴重な経験を積めました。

出産中、反省したこと

 

前回1年越しに出産レポを書いてみましたが、出産中に感じたことが多々ありました。

 

反省点から。

 

飲み物が足りない

500mlのペットボトルを3本持参するも足りませんでした。コロナ禍でマスクを着用していたため、息をするごとにマスクが口に入り余計に喉が渇きました。最後の1時間は陣痛が終わるたびに飲み物を欲する状態でした。

テニスボールで腰を押していた夫も喉がカラカラで、私の飲み物を飲んでいました。お前も飲むんかい!とツッコみたくなりましたがそんな余裕がありませんでした。当たり前だけど立ち会う人は別で飲み物を持っていこう!

 

 

陣痛が来ていない時はしっかり休む

陣痛がおさまっているのに、次の陣痛に備えて身体に力が入りっぱなしになっていました。陣痛が遠のいたらしっかり脱力し、呼吸を整えた方が長期戦に耐えられると思います。

 

 

素人が終わりを勝手に決めない

子宮口MAXになったから、もう少しだ!先生が来たから、もう産める!

と素人が勝手に判断して、期待を見事に裏切られ、頑張る気力を奪われてしまいました。痛みがどんどん強くなる中、折れた心を取り戻すのに苦労しました。気持ちが乗らないと陣痛も遠のいてしまうし、いいことありません。

「あと○時間くらいで生まれるかもね」という助産師さんの言葉も過信せず、「生まれる時間は神のみぞ知る」くらいの気持ちでいるべし。3時頃生まれるかもと言われ、結果8時に出てきました。

 

 

 


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続いて、良かったこと

 

 

夫の立ち会い

コロナ禍にも関わらず、運良く立ち会いOKになりました。夫がテニスボールで腰を押していなかったらどうなっていたことか。出産を目の当たりにした夫は、私に優しくなりました。笑

 

 

LDRでの出産

陣痛→出産→回復まで部屋移動がありませんでした。陣痛中にトイレまで歩きましたが、なかなか厳しかったです。分娩室への移動は考えられないな😨

出産後、部屋まで移動したときは足がブルブルで、生まれたての子鹿でした。笑

 

 

 

 

もしもまた出産することがあれば、次回は気をつけようと思います。

 

1年前の出産を振り返る

 

娘が生まれもうすぐ1年。

1年経ったにもかかわらず、産んだ日のことは昨日のことのように鮮明に思い出せます。

妊娠中出産レポを読み漁っていたので、誰かの参考になれば、、↓↓


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夜いつも通り眠りについて、夢の中でキレイなおねえさんに「そろそろいくわよ?」と言われ、それを合図にお腹が痛くなってきた(今思うとあれは娘だったのかも!)かなり重めの生理痛で眠るどころではなかった。

 

朝9時になり、痛みが10分間隔になってきたので病院に電話。病院に行って内診してもらったが、子宮口は1cmしか開いておらず帰される。陣痛はこんなもんじゃないよ!と脅され恐怖に怯える。

 

10−17時 箱根駅伝の母校を応援したり、湯船に浸かったりして気を紛らわせ痛みに耐える。

 

18時頃におしるしが出て、痛みも5分間隔になったため病院へ。まだ生まれないと言われたけど入院することになった。

 

22時に子宮口が6cmになり、夫の立会許可が下りる。テニスボーラーの登場に歓喜助産師さんは全く腰をさすってくれず、「コロナだからごめんね。ご主人にさすってもらって」というスタンスだった😭

 

1〜3時かつてない痛みに襲われる。「お坊さんが波に乗って私の腰にある鐘をつきにくる」という謎の映像が頭を支配する(笑)テニスボーラーの夫も汗だくのヘトヘト。私の飲み物をかなり飲まれてしまい困った💦いきみ逃しが難しく、いきんでヨシと言われてからは痛みが半減したように思えた。

 

4時頃、子宮口MAXになり先生&助産師ーズが現れる。まるで後光がさしているかのように見えた✨「もうすぐ生まれるね✨ありがとう💓」なんて夫と手を取りフィナーレを迎えていたが、先生の「こりゃまだ生まれないね」の一言で陣痛促進剤を入れられ全員撤退。ここからが本当の地獄だった。

 

呼吸法も忘れるし、マスクが口の中に入ってくるし、限界と思っていた痛みがさらに倍増した。先程勝手にフィナーレを迎えてしまったせいで気が抜けてしまい、テニスボーラーの夫の力も弱くなってしまった😭

「もう無理です。お尻が割れます。生むの明日に仕切り直しましょう。」と弱音ばかりになりしんどい時間が2時間ほど流れる。(お尻はすでに割れてるよと助産師さんにツッコまれ、のちに笑い話となる)

 

朝7時、先生&助産師ーズが再び現れる。「今度は赤ちゃん出すよ!」と言われ力が湧いてくる💪赤ちゃんの頭が骨に当たる時の痛みは凄かったが、早く会いたいの一心で踏ん張り続けた。陣痛に合わせ会陰切開したが痛みはなし。

 

ついに!

鉗子&吸引でなんとか娘が誕生した🍀

3500gの娘。小柄な私にしてはとても頑張りましたと助産師ーズに褒められ、調子に乗っている間に会陰の縫合がなされ痛みは感じなかった。

 

 

 

出産から1年経った今、あの時感じた痛みを具体的には思い出せません😭一生忘れないって思っていたのに、痛みを忘れる機能が人間に備わっているのかも。だから二人目とか考えられるんだろうな〜

 

今回の出産で反省することがたくさんあったから、次回記事にしようと思います。